大学院卒業後、地元を離れてはじめて社会人一人暮らし

高校を卒業してから「生き物が好きだから」という理由で大学の生命科学系の学部と大学院に進学。
テレビでよく見るような研究室で白衣を着てクリーンベンチという雑菌やバイ菌を排除した無菌空間でひたすら細胞を培養して天然物から抽出した成分との関係性を顕微鏡で観察しながらもくもくと研究していました。
無口な性格もあってか「もくもくと作業する」という研究が面白く「将来は研究職という道もあるのか...この研究が定年まで出来たら楽しいだろうな~」と思って就職活動はこの経験を生かせる化粧品業界、製薬業界、食品業界、飲料業界に絞って活動していました。
就職超氷河期の中、約100倍の競争率を勝ち抜いて憧れの化粧品の開発職へ

研究職への強い憧れがあったものの就職活動の現実はかなり厳しかったです。
研究職や製品開発職の採用人数は営業職や製造職と比較してもあまり人材を採用しないのです(企業の予算を使って基礎研究などの製品のネタになるような研究をしているので売り上げという利益が無いので、会社から見たらこれらの職に大量に人材を投資できないという金銭的理由があるためです)。
私は就職活動を始めたのが2013年。
2008年にアメリカで起きたリーマンショックや2011年3月11日の東日本大震災もあり有効求人倍率が約1.27倍と低いものでした。
面接前に実施されるテストセンターなどのWebテスト対策を万全にしていざ面接!...
でも、1次面接や2次面接に進むのがやっとのこと。
2013年の2月から開始して半年経過した7月まで1社も内定を頂けない状態で精神的にも身体的にもボロボロの状態でした。
翌月の8月に志望度の高い化粧品メーカーの最終面接が控えており、疲れ切っていたためか「どうせ落ちるだろうな...記念受験だし、ありのままの姿を晒すか...」と思って臨んだところなんと内定を頂くことが出来ました。

「なんで自分が?」と不思議に思いながらも徐々に嬉しさが込み上げ「苦しみながらも良かった点や悪かった点を意識して就活力を磨き上げたら見てくれる企業ってあるんだな。」と感じたのを今でも覚えています。
2013年8月に無事、人生初めての就職活動を終えることが出来ました。
卒業までは大学院の研究と研究室のゼミ旅行などを思う存分満喫しました。
入社して約2年経過後のカラダの異変

苦しかった就職活動を乗り越えて、初めての社会人一人暮らし。
というのも内定を頂いた企業は東海地方の化粧品メーカーでして私の地元は広島県なので当然ながら親元を離れての生活です。一人暮らし当初は慣れないこともあってホームシックになることもありましたが半年もたつと「好きな時間に起きれるし、一人暮らしってこんなにも自由度が高いのか...」と思ってましたね。
社会人生活はというと、かねて憧れていた製品の開発職を1年目から担当出来て上司の指導の元、順調に仕事をこなす日々を送っていました。
しかし、社会人2年目を過ぎた頃、徐々に身体に異変を憶えるようになりました。それは『主婦湿疹』、いわゆる手荒れです。
化粧品の製品開発職はエタノールなどの材料を使って開発するので、それによって手荒れが進行していったのです。
「皮膚科を受診したら改善するだろう...」と思っていたのですが一向に改善せず、次第に強烈な痒みで夜に何度も目が覚めるといった日常生活にも影響が出るようになりました。

憧れの化粧品開発職のポジションに就くことが出来たものの身体上の都合で開発職を離れることにショックを隠し切れませんでした。
「ものづくりがしたいと思ったのに、これ以上関われないなんて...」と悲壮感に打ちのめされたことを憶えています。
会社側も身体の都合を受け入れてくれて事務系の部署に配置転換することが決まりました。
高校の同級生のキャリアを聞く機会で自分にスキルが無いと自覚してキャリアチェンジ
化粧品の開発職を離れるという悲しみに打ちひしがれながら5月のゴールデンウィークに帰省し、久しぶりに高校や中学の同級生との飲み会に参加。
相談に乗ってもらいながら、恐る恐る彼らの当時の立ち位置を聞いてみました。すると、職場で習得した知識や経験で国家資格を取得して任される仕事量の増加や給料のアップという話を聞いて愕然としました。
「彼らにはすでにスキルや知識が身に付いている。この時点で自分と彼らの間には少し差が出来てしまっている。このまま放置すると数十年後には追い付けないくらいの差になってしまう...ホントにどうしよう。自分は今の会社にいることでいいのだろうか。彼らのように、人前で話せるスキルや知識を持っているのだろうか。」と不安になりました。
結論から言うと「自分にはスキルや経験は無い」ことと、このまま会社に残っても身に付かないことも分かりました。
「今であれば彼らとの差を埋めることが出来る。この際、思い切って転職しよう!」と決意したのが2017年の5月頃でした。
転職を決意してからはこれから成長する業界を徹底的にリサーチしました。調査の結果、IT業界であることが判明し、この業界に飛び込むことを決意しました。
「同じ化粧品業の会社じゃないの?」と思った方もいると思います。その業界を選ばなかった理由は、開発職に従事しているときに患った手荒れ(主婦湿疹)が日常生活に悪影響を及ぼすほど悪化していたため離れざるを得なかったからです。
またIT業界はものづくりに関わることが出来て、かつ転職の参入障壁が低いというのも転職理由でした。
30歳のパソコン音痴がスキルを付けるべくIT業界のWebエンジニアを目指して転職決意
転職する業界が決まったのでいよいよ本格的な活動に入りました。
最初にしたことは転職サイト(DODA、パソナキャリア)に登録しました。登録後に転職エージェントから連絡があり、愛知県名古屋市まで電車で約30分かけて対面での面接を行いました。面談の中で履歴書と職務経歴書が必要だということを言われました。
職務経歴書の作成経験は全くなかったのでエージェントから頂いたテンプレートサンプルや書店に行って書籍を購入して経歴書を仕上げていきました。
加えてプログラミングは完全未経験なのでこのスキルを付けないと応募先企業の面接の機会すら与えられませんのでJavaやHTML、CSS、JavaScript、PHPなどの複数のプログラミング言語の習得にも時間をじっくり掛けました。
当時は仕事もしていたので集中して19時までに業務を終わらせて帰宅し、プログラミングの勉強と履歴書や職務経歴書のブラッシュアップ、自己分析(IT業界を希望する理由とその背景にある経験の洗い出しなど)、面接時に効かれるであろう想定問答集の作成を約1年間行っていました。
未経験での転職はハンデが多いので、準備期間が非常に長くなってしまい、身体的にも精神的にもきつかったのを憶えています。
100%自社開発企業のWebエンジニアに転職
仕事と転職活動の準備を毎日継続していることもあって、徐々にプログラミングの専門用語やコードもすらすら書けるようになりました。
ここからは少しずつ「転職時の面接の雰囲気を知ろう」と思い、実際に企業に応募していきました。当初は書類選考すら通りませんでしたが、落ちたときの原因分析と改善を続けていった結果、徐々に面接の機会が与えられるようになりました。
面接までの下積みが長いせいもあってしっかりと自己分析が出来ていたので説得力のある志望理由や将来応募先で実現したいこと、現在習得しているプログラミングスキルをアピールしていきました。
その結果、100%自社開発の企業から内定を頂くことが出来ました。これには本当に驚きましたし、スゴイうれしかったですね。
暑い日も寒い日も諦めず毎日コツコツ頑張った結果がようやく実を結びました。
おわりに
「将来どんなキャリアビジョンを持ちたいか? それを実現するにはどんな準備とスキルが必要か?」というゴールとプロセスを行動する前から綿密に準備することが非常に重要だというのが今回の経験で学んだことです。
あいまいなゴールのままやみくもに準備や行動をしているだけでは、無駄な時間とコストを消費するだけで得るものは何もないです。
一般的に年齢が低い(18歳~27歳)ほど転職しやすい傾向にあります。
私は30歳になってから転職活動をしたのでかなり苦労しました。
そのハンデを抱えながらも今回の結果に結びついたのはこれまでの過去の自分から学んだ経験と将来への展望、そしてなりたいキャリビジョンを実現するための徹底的な業界のリサーチが成功の鍵だと思っています。
転職を考えている皆さんもゴール(キャリアビジョン)と綿密なリサーチ(プロセス)が繋がっていることをしっかりと意識して臨んでくださいね。
あとは応募の回数を重ねていくだけなので、非常にシンプルです。
ただし、面接後は反省と振り返り、そして次回の面接までに足りなかった部分を洗い出してブラッシュアップすることは忘れないでくださいね。そうすればライバルとの差を広げることが出来て内定につながります。
皆さんの成功を祈っています。